昭和47年、日本鉄道100周年を契機に各地で軽便鉄道の蒸気機関車が一時復活。その一方で国鉄の蒸気機関車はいよいよ数を減らし、翌48年には、紀勢本線・参宮線・関西本線の蒸機たちは、ついに最後の日を迎えた。しかしその後、東海道本線・大阪―神戸間開通100周年記念で運転されたC612牽引による「SL白鷺号」や、大井川鉄道など各地で蒸気機関車復権の気運が高まる。そんな時代の蒸気機関車の姿が、鮮やかによみがえる。(昭和43年〜昭和56年撮影) 西武鉄道山口線廃止された頸城鉄道から貸し出された明治生まれのコッペル2号機が活躍。井笠鉄道のオープンデッキの客車を牽引した。石原産業専用鉄道三重県四日市市にある石原産業専用鉄道。ドイツ・ハノーバー生まれの明治の古豪B6形2412が、戦後生まれのS108とともにひっそりと貨物を牽引していた。しかし、昭和43年ついに引退。最後の日を迎えた。尾小屋鉄道No.5三重県の遊園地で開催された鉄道開業100周年のイベントで、石川県の尾小屋鉄道から来た蒸気機関車No.5が運転された。紀勢本線 C58通常は信楽線・草津線の貨物を牽引して亀山―信楽間を走るC58形が、紀勢本線・参宮線で12系客車の団体列車を担当。時にはC57形に代わって、紀勢本線・参宮線に唯一残る定期旅客列車の先頭にも立った。亀山機関区に残る3両、66・312・353号機の姿を追う。奈良運転所 D51昭和47年10月、紀勢本線・参宮線の貨物列車は、奈良運転所のD51形により牽引されていた。同運転所では最後のはなむけにと、多くのデゴイチに、「つばめ」「ピースマーク」「月と雁」など、デフレクターに様々な装飾が施されていた。関西本線の難所・加太峠ではD51形が旅客列車や貨物列車の先頭に、また後押しにと奮闘していたが、後任となるディーゼル機関車が投入され、デゴイチは後補機に徹するようになる。さよならSL昭和48年8月〜9月。亀山機関区のC57形・C58形と奈良運転所のD51形、最後の2ヶ月間の姿を丹念に追う。亀山駅 昭和48年9月30日亀山機関区の蒸気機関車最後の日。紀勢本線・参宮線最後の旅客列車821列車・826列車の乗車撮影、ヘッドマークを掲げての奈良運転所への重連回送、DD51にバトンタッチした列車のこの日限りの蒸機運転復活など、亀山駅の一日をドキュメント。SL白鷺号昭和49年5月、大阪―神戸間開通100周年の記念に「SL白鷺号」が大阪―姫路間で運転された。牽引するのは梅小路蒸気機関車館で動態保存されているC61形2号機。山陽本線での運転は、最初で最後となった。C11312後に大井川鉄道で動態保存機となるC11312が、昭和51年に三重県の「ドライブインあら竹」に静態保存された際の設置作業の一部始終を記録。大井川鉄道国鉄で蒸気機関車の営業運転を終えた翌年の昭和51年から、いち早く蒸気機関車の運転が復活。タイから帰国したC5644が、C11227とともにSL急行「かわね路」の牽引機として活躍する姿をとらえる。 ナレーター:羽川英樹撮影・監修:奥井宗夫監修:宮澤孝一・山邊誠構成・演出:宮地正幸 西武鉄道承認済/大井川鐵道商品化許諾済 【奥井宗夫氏 略歴】 三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。23歳で8ミリカメラを手にして以来、鉄道車両を追って日本各地を行脚。青果業を営むかたわら、四半世紀以上にわたって撮り集めたカラーフィルムは約280本にもおよぶ。松阪レールクラブ会員。 制作:株式会社 動輪堂